こらよか!

よしゆきパパの日常ですたい。 まあみちゃってんなさいや。

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今年も寒い大晦日になりました。
朝から粉雪が舞い、
事務所の窓から見える背振山も雪化粧。

鬼界カルデラ1231

鬼界カルデラ1231 (1)




本来であれば昨年の大晦日に宣言したように、
実家のある西新商店街の大晦日をレポートしたかったんだけど、
仕事がギリギリまで入って断念。


そこで今回は、
寒い年の瀬をさらに寒くするお話を。

鹿児島県は霧島市東部に、
上野原遺跡という縄文集落跡がありまして。
1986年という比較的新しい時期に
工場団地造成中、偶然発見された遺跡。

ところが驚くなかれ、
上野原遺跡は9500年前からの集落跡が残る、
世界的に見ても非常に古い遺跡でした。
現在はご覧の通り整地され、歴史公園に。

鬼界カルデラ1231 (2)





上野原遺跡は下図のように、
鹿児島湾の直ぐ近くにある、
上野原台地と言う火山性大地の上にあるんです。

鬼界カルデラ1231 (4)





上野原遺跡から眺めた鹿児島湾。
桜島がきれいに見えます。
縄文の当時もこの景色を見て人々は暮らしたんでしょう。

鬼界カルデラ1231 (3)





ところで私が住む福岡がある九州には、
地図に出ていない巨大な火山がたくさんありましてね。

これがそのありかを示した図。
いずれも爆発すれば、とてつもない噴火となる、
大規模な火山で全て火山性陥没地形、
いわゆるカルデラとなっています。

鬼界カルデラ1231 (7)

番号順に見ていくと、

①阿蘇カルデラ

②猪牟田(ししむた)カルデラ

③祖母(そぼ)カルデラ

④大崩(おおくえ)カルデラ

⑤傾(かたむき)カルデラ

⑥加久藤(かくとう)カルデラ

⑦小林カルデラ

⑧姶良(あいら)カルデラ

⑨阿多北カルデラ

⑩阿多南カルデラ

⑪鬼界(きかい)カルデラ



これだけのカルデラが集中している地域は、
世界でもほとんどなく、
研究者にとっては興味の尽きない地域。

ちなみに②猪牟田(ししむた)カルデラ
③祖母(そぼ)カルデラ
④大崩(おおくえ)カルデラ
⑤傾(かたむき)カルデラ
は、100万年以上前の噴火以後、
活動のない火山のためまず安心なのですが。

で、今日問題にするのは、
⑪鬼界(きかい)カルデラ。





鬼界カルデラは大隈半島から約50キロ。
大部分が海底にあり、
北縁が海上に火山島として出ています。

鬼界カルデラ123103




これはその一つ、昭和硫黄島。
こんな火山島なのに人が住んでいるんです。
よう住みきいなあ、信じられんばい。
(よく住めるなあ。信じられない)

Satumaiou-hirano.jpg






海上だけ見るとただの火山島(?)に見えるけど、
いったん海の底をのぞくと、
ゾゾ~っとするような地形が浮かび上がる!
海底にはぼっこし大穴が口を開けていて。
横25キロ×縦15キロの規模を持つ、
巨大海底火山なのですよ。!

鬼界カルデラ1231 (8)





これはアイスランドの海底火山の噴火。
これでも十分すごいですけどね。
鬼界カルデラの爆発は、
この写真の規模の数千倍!!!!
途方もない規模でした。

鬼界カルデラ1231 (9)





1991年の雲仙普賢岳平成噴火で有名になった、
火砕流という現象があります。

噴火で噴出したマグマが高圧高温の紛体流となって、
斜面を流れ下る、あれ。

91年6月3日は死者行方不明44人を出す大惨事を巻き起こしたので、
記憶されている人も多いでしょう。
下はその画像。

鬼界カルデラ1231 (5)

鬼界カルデラ1231 (6)





当時、マスコミでは克明に捉えられた猛威や、
その被害の大きさから、
「大」火砕流という表現を使っていました。
ところが実は普賢岳の火砕流は、
「大」火砕流ではなく、
プチ火砕流とも言うべき大きさだったんです。

あの程度の火砕流は、
世界でも毎年どこかで発生しており、
珍しくないスケールでして。

流れ下る方向も一つの方向だけだったし、
流れた距離も8キロくらい。
それでもあの圧倒的な映像は、
見る人の度肝を抜きましたよね。
そして住民は対処不能。
ただ非難するしかなかった。

しかしですね。
あれだけの迫力を持ち大きな被害を出した、
雲仙普賢岳の平成噴火は、
総噴出量にして0.3立方メートル
いえ、これでも十分な脅威でしたけど。

ところが上記の鬼界カルデラが起こした、
7300年前の噴火は、
噴出量にしてなんと170立方キロメートル!!!!!!
雲仙普賢岳の600倍の規模!!!!!
想像を絶する巨大噴火だった。

その噴火で発生した火砕流も、当然桁違い。
まず流れる方向が一方だけじゃなく、
回り全周囲に広がる!
これを全方位火砕流といいます。

そして火砕流が流れた距離も、
普賢岳の10倍以上、80キロ近く!

下の図がその火砕流に覆われた範囲。
上記上野原台地はギリギリ免れてますが、
鹿児島市を始めとする薩南地域はすっぽり覆われる!

火砕流は温度が600度前後ですから、
生物は生き残れません。
人口70万人弱の鹿児島市は、
火砕流に覆われた雲仙のふもとと同じく、
瞬時に壊滅します。

鬼界カルデラ1231 (10)





この火砕流だけでも、
信じられないくらいのスケールで、
今、鬼界カルデラがこの規模の噴火を起こせば、
噴火1時間以内に鹿児島県南部地域の自治体は消滅!
おそらく100万人以上の被害が生じるでしょう。

が、この手の巨大噴火ではまだ序の口の被害。
本番はここから始まるんでして。

主役は、噴火で生じる膨大な火山灰。
鬼界カルデラクラスの噴火ともなると、
とてつもない量の火山灰が吐き出されます。
しかも爆発とともに20~30キロの高度にまで噴煙が達する。

そして成層圏まで達した火山灰が、
偏西風に乗って北東に広がっていきます。
で、次第に高度を下げて、
やがて地上に降り積もる。

鬼界カルデラの7300年前の噴火では、
下図の通り能登や新潟、福島あたりまでが、
2センチ以上の火山灰ですっぽり覆われました。

鬼界カルデラ1231 (11)





ちなみに火山灰と書くと、
焚き火やタバコ、
あるいは火災で燃え残った灰をイメージしがちですよね。

しかし火山灰はこうした有機的な灰ではありません。
実態は岩が高圧で粉砕されたもの。
その粒子は下の写真の通り、
鋭くとがりささくれ立っています。

これがたとえば精密機械などの進入すると、
ショートの原因になるし、
航空機や車のガラスに傷をつけ、
すりガラスみたいにしてしまう。

実際噴火の火山灰の中を飛行した旅客機が、
エンジントラブルに見舞われたり、
操縦席のガラスがすりガラス上になって、
視界がなくなり緊急着陸したケースがあります。

鬼界カルデラ1231 (12)

鬼界カルデラ1231 (13)





なので、火山灰が5ミリでも積もると、
空港は閉鎖され旅客機は飛べなくなるし、
車の高速走行も無理になる。
これだけでも現代社会には十分脅威ですけど、
さらに怖いのは生物への影響。

火山灰は基本、岩の粉。
その火山灰が水に混ざるとどうなるか?
皆さんの身近に実例があります。
コンクリート。
これも岩の粉に水を混ぜていますよね。

ということは。
火山灰を吸いこんだ肺を考えてください。
火山灰は、肺の中の水分と結びつく。
そしてコンクリート状に。
あとは想像すればわかりますよね。
肺の機能が損なわれ、やがて呼吸困難に。

7330年前の鬼界カルデラの噴火では、
100立方メートルという、
莫大な量の火山灰が、
日本の半分以上の地域に撒き散らされたわけです。

特に西日本地域はその厚さは10センチ以上になったはず。
こんな状況では到底、
動物は呼吸することは不可能。
当時の西日本にいた動物の多くが、
呼吸困難で壊滅的被害を受けたのは疑いようがありません。

またこれに加えて、
火山灰に覆われた地域では植物も全滅したでしょうから、
呼吸だけではなく餌にも不足するようになる。
食糧難と呼吸難のダブルパンチで、
西日本の生態系は崩壊したでしょう。

下の写真はその被害をもたらした火山灰。
宮崎県などでは50センチ以上の厚みがあり、
農耕に適さないため「アカホヤ(「赤い役立たず」の意味)」と呼ばれています。
そして7300年前の鬼界カルデラの噴火は、
この火山灰の名前を取って
「アカホヤ噴火」と呼ばれるようになりました。

鬼界カルデラ1231 (14)

鬼界カルデラ1231 (15)





そこで最初にご紹介した、上野原遺跡。
上野原遺跡は鬼界カルデラ「アカホヤ噴火」の、
火砕流被害は免れたようですが、幸運だったのはそこまで。
その後降ってきたアカホヤ火山灰が、
50~80センチも積もり、
家屋は倒壊し人々は呼吸困難と飢餓で、
次々と命を奪われました。

9500年前から続いた上野原台地の縄文集落は、
7300年前のアカホヤ噴火で文字通り滅ぼされてしまいます。
まあ、それにしても2200年以上、
つまり西暦が始まってから現在までを越える期間、
存続しただけでも大したものでしょうが。
でもその最期はあまりにも唐突で悲惨でした。






ここまで紹介し手きたとおり、
鬼界カルデラで起きた7300年前のアカホヤ噴火により、
西日本、特に九州地方の生態系は崩壊します。
つまり少なくとも九州地方は、
数10センチの火山灰に厚く覆われ、
生物が暮らせない土地になってしまったのです。

当然、上野原台地の人々も含めて、
その頃の縄文人は死に絶えることになったでしょう。
考古学的にも、この悲劇が証明されています。

九州地方の遺跡から出土する、
縄文時代の土器には、
時期によってはっきりと二つに区別できるんです。
すなわち「アカホヤ噴火」以前と以降。
下図はその解説。

鬼界カルデラ1231 (16)





「アカホヤ噴火」以前、上野原台地をはじめ、
九州には貝殻文式土器の文化が広がっていました。
7300年以前の遺跡からは、
下図にあるような貝殻を押し付けた文様のある土器が出土します。

この貝殻文式土器は主に海の文化であり、
南方系の人々が持ち込んできたものと考えられています。

imagesCAIMQMMA.jpg





ところが「アカホヤ噴火」以降、
しばらくの期間、九州では縄文遺跡が見られません。
それどころか、
植物さえ生えていなかったと推測されているんです。

植物が枯れたり腐敗して残す、
植物珪酸体をプラントオパールといいます。
このプラントオパールの種類や特性を分析すると、
当時どんな植生だったのか推測できるのですが。

しかし7300年以降の九州南部地域には、
このプラントオパールが発見できないのです。
その期間、実に900年間!
つまり1000年近い時間、九州南部は動物はおろか、
植物すら生えることができない文字通り不毛の土地だった!!!!
これはそのプラントオパールの顕微鏡写真。

鬼界カルデラ1231 (18)





九州南部地域で縄文遺跡が再び発見できるのは、
「アカホヤ噴火」から何と1000年以上経過してから。
しかもそこで出土する土器の多くは、
曽畑式土器という大陸系土器。

要するに「アカホヤ噴火」をはさんで、
九州の(特に南部)縄文文化は、
キレイに入れ替わってしまったんですね。
下は代表的な曽畑式土器の写真。

鬼界カルデラ1231 (19)





前述の通り、現代に「アカホヤ噴火」が発生したら。
南九州が瞬時に壊滅するだけでなく、
日本全体も膨大な火山灰により、
重大で深刻なダメージをこうむることは間違いありません。

しかも上の図にあるとおり、
九州だけでも「アカホヤ噴火」クラス以上の、
超大規模噴火を起こす火山がひしめいているわけで。

おまけにいずれ触れたいと思いますけど、
九州のカルデラは数万年~数十万年間隔で、
巨大噴火を繰り返している。

たまたま「アカホヤ噴火」以降、
こうした巨大噴火がないだけなんですね。

というわけでつつがなく暮らせる幸運を感謝して、
新年を迎えたかですたい。
それでは、よいお年を~♪




今日も最後まで読んでくださって感謝です。
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エーゲ海の真ん中にサントリーニ島と言う島があります。
この赤いところがそう。

サントリーニ




人工衛星から見るとこういう感じ。

サントリーニ (1)





風光明媚なリゾート地として大人気のスポット。
真っ青なエーゲ海に映える白亜の教会。

CMでも多用されるのでご存知の方も多いかと。

サントリーニ (2)

サントリーニ (3)





この写真は私の「mixi」マイページの写真として掲載させてもらってます。

サントリーニ (4)




もうたまりませんなあ!この景色!

サントリーニ (5)

サントリーニ (6)

サントリーニ (7)





飛行場や船便も整備されており
、年間100万人を越える観光客がやってくる人気スポット。
そりゃあ、これだけきれいだったらね。
誰でも一度は行ってみたいわな。

サントリーニ (10)





しかもですねえ。
このサントリーニ島からは紀元前1630年ごろ、
つまり今から3600年前くらいの遺跡が発掘されているんです。
これがまた素晴らしいっ!

サントリーニ (11)

サントリーニ (12)

サントリーニ (13)

サントリーニ (14)

サントリーニ (15)

これらはサントリーニ島の地下から発掘された壁画群。
極彩色の鮮やかな色使い。
スマートで洗練された造形。

とても今から3600年前に描かれたものとは思えません。
今直ぐにでも使えそうなデザインとカラーリングでしょうが。

ちなみにこの頃日本はといえば・・・
まだ弥生時代。
当然、文明なんてありゃしない。
文字も無く農耕に明け暮れる生活しかなかったんでございます。

これを見れば一目瞭然で、
サントリーニ島に高度な文明が栄えていたことがわかりましょう?

そう、ここサントリーニ島は、
約80キロ離れたクレタ島と一緒にエーゲ文明またはミノア文明と言う、
当時の最先端文化の中心地だったんですよ。





これはサントリーニ島の発掘現場。

サントリーニ (17)

サントリーニ (18)

「ほほー、こうやって発掘したのね~」
なんてのんきに考えてるそこのあなた。

何で上の壁画が発掘しなけりゃならないくらい埋もれたか?
わかります?

上の衛星写真見て何か思いません?
このサントリーニ島、ぐるりと輪を書いているように見えんですか?

じつはですな、
サントリーニ島は直径約11キロの火山性カルデラなんでございます。
そのカルデラの周囲にエーゲ文明の壁画が埋もれていたという事は?!

そう、ご想像の通り、紀元前1628年ごろ、
サントリーニ島は大噴火を起こして(これをミノア噴火といいます)島中央部が陥没!
巨大カルデラが生成されたとです!!!!
だからサントリーニは真ん中がボコッと凹んどるわけですたい。





ちなみにこちらは1991年に20世紀最大の大噴火を起こした、
ピナツボ火山の噴火風景。

サントリーニ (20)

サントリーニ (21)

ピナツボ火山の噴火は火山爆発指数(VEI)にしてレベル5の噴火でした。
(こういうのをVEI-5といいます)
サントリーニ島の1628年ごろの噴火(ミノア噴火)は、
火山爆発指数でレベル6の規模。つまりVEI-6の噴火。

火山爆発指数は対数表示なので、
レベルが一つ上がるごとに約10倍になるとです。
つまりサントリーニ島のミノア噴火は、
20世紀最大のピナツボ火山の噴火の10倍近い超巨大噴火だったわけ。
あなおそろしや~!

サントリーニ島が大噴火を起こしたことで何がおきたかと言うと。
周囲に一番影響をもたらしたのは、
直径11キロのカルデラが出来る際に発生した津波でござった。

サントリーニ島周辺では、
おそらく波の高さ100m!以上の津波が発生したと考えられとります。
100mですよ、100m。




これは2004年のスマトラ沖大地震の津波。
波の高さはだいたい10mくらいかと。

サントリーニ (23)

サントリーニ (26)

サントリーニ島大噴火で起きた津波はこれの10倍くらいあったわけ。





もちろん距離が開けば津波の高さも低くなります、ええ。
しかし上の地図をもう1回見てくださいよ。
サントリーニ島の周囲は島だらけ。
特にエーゲ文明の中心地のひとつで、
近所で最も大きな島であるクレタ島までは80キロしかありまへん。

クレタ島では津波は30m以上の高さに達しただろうと推測されとります。
こんな感じ。(これは合成図)

サントリーニ (25)

サントリーニ (24)

エーゲ文明は地中海交易で栄えた文化。
つまり船で交易しとったわけですな。
という事は当然港が大事と。
そういう港にこんな津波が来たらどうなるか?

そりゃもうエーゲ海周辺の港は壊滅的打撃を受けますわな。
おまけに火山噴火なもんで、
火砕流とか火山灰とかが降ってくる。

現代でも津波や噴火・火砕流・火山灰は、
原理がわかっていてすら対処不能な天災。
今から3600年前だったら神か悪魔の仕業としか思えんやったでしょう。




しかもですね。
サントリーニ島からは犠牲者の遺体が、
全くといっていいほど発見されておらんのですよ。
交易をやっていたしこれだけの文化があったんだから、
数千人程度はいたはずなのに。

ということで多分、大噴火の前に地震や小噴火などの兆候があって、
みんな逃げ出したと推測されるわけ。

当時エーゲ文明に比肩する国家といえば、
地中海を挟んだ対岸に存在したエジプトでございました。

サントリーニ島の避難民もエジプトに逃れた可能性は低くない。
で、そこで自分たちが経験した大変動を語り伝えた事は十分考えられるかと。
なにしろこんだけの大災害ですもん。




そしてそれから1000年くらいして、
この恐怖の伝承をエジプトで伝え語りに聴いた、
プラトンさんと言う哲学者が当時の腐敗したギリシャに警鐘を鳴らす意味で、
高度な文化を誇りながら奢り高ぶってしまったために
神の怒りに触れ一夜にして海に沈められた国家のお話を書いた。

そう!これがアトランティス伝説の原型ではないか?
こういう仮説が立てられとるとですよ。




ただミノア噴火の時期とエーゲ文明の衰退の因果関係は、
まだ解明の余地が残されているし、
プラトン氏が果たしてサントリーニ島の大変動を聞いたかどうかは、
天国で彼に突撃インタビューして聞くしかありまへん。

とはいえ、ミノア噴火がエーゲ海一帯に大きな惨禍をもたらした事は、
サントリーニ島やクレタ島の発掘によって証明されており、
この仮説も全く根も葉もないとは言えんっちゃないやろか。
(言えないんじゃないだろうか)
これが現在の一般的学術見解かと。

この話、他人事じゃないんですばってん、
それはまた別の機会に。




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これ、決まりみたいですね、どうも。

【卑弥呼の死亡時期と合致、「奈良の箸墓古墳」】
-邪馬台国畿内説と九州説に一石を投じる結果に…国立歴史民俗博物館-

箸墓古墳

纏向遺跡といい、こんだけいろいろ出てくるとても偶然とは思えませんもんね。

だいたい高速道路も飛行機もインターネットも無い、
2~3世紀にこれだけ労働力や文化を集積させるって、
ものすごい権力が無いと不可能なわけで。

その当時、あっちにもこっちにもこんな権力が存在したとは、
とても思えませんわな。

少なくとも弥生時代の奈良県は、
間違いなく日本の中心地だったんでしょうね。
それが邪馬台国と言う名前かどうかは別としても。

だいたい邪馬台国って中国の書物にしか名前が無いわけだし、
読み方だって本当のところはどうだかわからんでしょう。

卑弥呼にしても、権力者が自分から「卑しい」って字を使うか?
書いた国が中華って表現する国ですよ。
しかも明らかに日本の方が後進国だった。
当時の日本の権力が自分たちをなんと呼んでいたかなんて、
その当時まで行ってみないとわからんのじゃないかと。

しかし現代科学の力は凄いもんです。
今から1700~1800年前の出来事を10年前後の精密さで解析できるとは。


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  • Author: よしゆきぱぱ
  • 1958年12月29日生まれの57歳。
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