こらよか!

よしゆきパパの日常ですたい。 まあみちゃってんなさいや。

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今回の東北関東大震災に関して、
私のメールマガジンから転載させていただきます。




信じられないような大震災。
想像を絶する光景に言葉がありません。
しかし限界状況の中で人間の真価、
人の輝きを見せ付けられた瞬間がいくつもありました。
これはその一つです。
まずこちらの記事をご覧ください。


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【「早く逃げて!」25歳女性町職員、命かけ防災無線…
            防災対策庁舎ごと流される】

(2011.03.14 毎日新聞)

「早く逃げてください」--。
街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、
約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、
町役場が跡形もなくなるなど壊滅した。

多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、
その中に津波に襲われるまで防災無線放送で
住民に避難を呼びかけた女性職員がいた。

「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。
同町の遠藤美恵子さん(53)は、
避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。
娘の未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。
地震後も役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。

難を逃れた町職員(33)によると、地震から約30分後、
高さ10メートル以上の津波が町役場を襲った。
助かったのは10人。庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。
その中に未希さんはいなかった。

遠藤さんは「(生き残った職員から)
『未希さんが流されるのを見た』という話を聞いた。
もうダメだと思う」とつぶやいた。

地震直後、遠藤さんの知人、
芳賀タエ子さん(61)は「6メートル強の波があります。
早く逃げてください」という未希さんの放送の声を聞きながら、
携帯電話だけを持ち、着の身着のままで
車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。

停電で信号が動いておらず、周辺道路は渋滞していた。
高台への道路を上がる時、
振り向くと渋滞の列からクラクションが鳴り響き、
その背後から津波が家屋などをなぎ倒しながら
追いかけてくるのが見えた。

芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、
数十メートルの高さの高台に逃れた。
車を降りて避難所の階段を上がった。
遠藤さんもたまたま避難していた。
芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。
「娘さんの声がずっと聞こえたよ」
高台から見下ろす街は濁流にのみ込まれていた。
骨組みだけが残っている


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恐ろしい災害を目の前にしながら、
勇気を持って1人でも多くの人を非難させるために、
最後の最後まで尽力された未希さん。
彼女達の努力は無駄にはならなかった。
スマトラ沖大津波と同規模の津波を受けながら、
こういう言い方は大変失礼になりますが、
人的被害は最小限といって良いレベルで済んでいます。

日本の震災・津波に対するハードとソフトが、
いかに優れているか、
そしてそれを運用した人々のモラルが、
どれほど高かかったかを、
如実に証明しているのではないでしょうか。

絶望的状況の中で生存本能を圧倒するほどの使命感を持って、
責務を果たそうとした人達のおかげで、
マグニチュード9.0の地震・10mを超える大津波でありながら、
多くの人が難を逃れられました。
海外からは日本の災害に対する国民の有り様に、
驚嘆に近い声が起こっています。

そしてインターネット時代の今、
こうした人間の輝きはデータとして共有できる。
こちらの動画では、
津波に襲われながらも懸命に放送を続ける、
未希さんの声を聞くことが出来ます。


【Youtubeより「宮城・南三陸町 町が津波に飲まれる様子」】
(18秒くらいから「高台へ非難してください」という
未希さんの放送が聞こえています)

http://20110316.zz.tc/celebmakers

上記の記事に寄せられたコメントを紹介しましょう。


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6m強の波が来るので警戒しなくてはならない、
町民に知らせて避難させないといけない 、
と思いつつ一所懸命自分の仕事を果たしてはいても
まさか自分も津波に呑まれてしまうとは
思っていなかったと思いますよ。
ほかの職員と屋上に避難したあと
大きな津波が来て必死に金網につかまったのではないかと思います。
しかしおそらくはその金網ごと流されていったのでしょう。
そのときに彼女が感じた恐怖を思うと言葉になりません。
結果的にこういう形で彼女のことが知られたわけですから
自分の仕事、責任を果たそうとしてはからずも命を落としてしまった。
ほかの数多くの公務員、消防士、警察官といった方々の象徴として、
広く記憶されるべきでしょう。
こういう形で知られることなく、
東北の海に面した町で一人の素晴らしい女性として、
母として人生をまっとうしてほしかった。
彼女の名は未来の希望、涙が止まりません。


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私も全く同感です。
未希さんの名前は人間の勇気の証として、
犠牲的精神の発露の象徴として、
絶対に忘れてはならないと思います。

生き残った人々、
そして震災に逢わずにすんだより多くの国民は、
絶望の中で最期まで1人でも多くの人を助けようと、
災厄と戦った未希さんに象徴される、
犠牲者の方々の努力に報いるためにも、
全力で復興に力を尽くすこと。
それが未希さん達への、
最高の追悼と手向け(たむけ)になるのではないでしょうか。



《未希さんが最後まで放送を続けた防災対策庁舎。
鉄骨のみが残されています。》

東北大震災ブログ (27)



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コメント

彼女の名誉の為に

記事に対するコメントが事実と違うので書かせていただきます。


先に三階に避難して助かった10人以外は最後まで二階にいて放送を続けていたそうです。
彼女の他にも数名の消防団等の人達もいたと言っていました。

証言していた方は、本来ならば率先して避難させなけばならない立場の人間でした。
何故最後まで残っていた職員を置いて先に避難して三階にいたのか、理解に苦しみます。


彼女のご冥福をお祈り致します。

  • 2011/03/18(金) 15:21:53 |
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